森吉山麓ゲストハウスORIYAMAKE

MATAGI'S CULTURE"マタギ"の文化を知る

人と自然の間をまたぐ
山の守り人"マタギ"のおはなし

時は平安。
狩猟集団"マタギ"ありけり。

           

マタギとは東北地方・北海道で厳しいしきたりを守りながら集団で狩猟を行う者を指す言葉でした。獲物は主に熊の他、カモシカ、ニホンザル、ノウサギなども対象としていました。その歴史は平安時代にまで遡り、他地域の猟師には類を見ない独特の宗教観や生命倫理を尊んだという点において、近代的な装備の狩猟者(ハンター)とは異なる存在です。

共存する人と森

マタギが生まれた
北秋田市・森吉山の魅力は、
太古の昔から続いてきた天然の森と、
人間が手をかけてきた
森が同居しているところです。
原生の森と、森と共に生きてきた人々の
営みがココにあります。

生きるためにまたぐ

豊かな森によって動物だけではなく、
人々の生活もまた、
森によって成り立っていました。
北秋田市・阿仁地域は
マタギ文化発祥の地として
認識されていますが、
山間の限られた土地に
居住していたことから、
狩猟を生業としなければ
生きていくことができなかったのだと
考えられています。

山と人をつなぐ者

                 

阿仁マタギは新しい地域へ旅をしたり、
獲物を用いて作った加工品を
売っていたことも特徴で、その結果、
東日本全体へマタギ文化が広まりました。
孤高の狩人というイメージは
映画やポスターによって
生み出された姿で、
実際は四季を通じて山に入り、
山と人を繋いでいる
「山の守り人」なのです。

"マタギ"と山の神

マタギの山岳信仰は、自然崇拝の一種で、山岳と関係の深いマタギが山岳地とそれに付帯する自然環境に対して抱く畏敬の念、雄大さや厳しい自然環境に圧倒され恐れ敬う感情などから発展した宗教形態であると考えられています。そして、マタギが信仰する山の神は醜女であるとされ、ヤキモチヤキと言われています。そのため、山へ行くときには、より醜いオコゼを供えることで神が喜ぶとされていました。

もっとも、他宗教同様に、マタギでも地域や流派によって山の神に対する考え方は分かれています。醜い女神だと考えるのとは逆に、貴婦人のような美しい女神であるという流派もあります。

また山に入ると里言葉に代えて、山の神を畏れ尊び、日常生活の「汚れ」をはらい猟場を汚さないために、イタズ(クマ)、コシマケ(カモシカ)、セタ(犬)、サンペ(心臓)、キヨカワ(酒)などのマタギ言葉が使われています。

魔除けのモロビ
マタギの集落の神棚には必ずと言って良いほど、モロビという植物が捧げられています。一般的にはアオモリトドマツと呼ばれています。森吉山の山頂付近はモロビの原生林で覆われています。モロビの香りは穢れを払い、魔除けの効力があると信じられています。猟の前には、モロビを燻して全身を清め、里の匂いを消します。(樹氷の芯の部分になっている木でもあります。)

"マタギ"狩猟 巻き狩り

                     

マタギの狩猟方法は巻き狩りといって集団で狩りを行うことが特徴です。
まず、朝早く山の麓に集まり、シカリと呼ばれるマタギのリーダーが役割を指示します。その役割に従って行動していきます。山で動物を一方に誘導するため、大声を出しながら歩く人はセコ(勢子)と呼びます。そして、尾根で銃を携えて待ち、獲物が来たら撃つ役割の人をマツバ(射手)と呼びます。マツバは冬山でも何時間も獲物が追われて来るまで待ちます。動物は尾根に逃げる習性があるため、セコが追い立てるとマツバの方へ向かっていきます。

                 

猟はシカリが全てを見渡せる位置に来たときに始まります。シカリの指示が出ると、セコは山の下から追い立てます。この巻き狩りの範囲にいる熊は、始まった瞬間に逃げることができなくなります。マツバが熊を仕留めると「ショウブー!」と声が上がります。ショウブとはマタギたちの合図。一斉に山から下りて、熊を集落まで運びます。

ケボカイの儀式

熊を運ぶと、解体する前にケボカイと呼ばれる儀式が行われます。これはマタギのリーダーであるシカリしか行うことができません。熊の魂を山の神様にお返しするという意味があります。魂はお返ししますので、また私たちに肉と皮を授けてくださいという祈りを捧げます。

"マタギ"勘定とモチグシ

ケボカイの儀式が終わると、熊は解体され、肉は全員で平等に分けられます。これはマタギ勘定と呼ばれ、シカリでも新人の若者でも、分けられる肉の量は同じです。狩りに10人参加したとすると、誰が捕獲しても獲物に対しては10人全てに同じ権利があるという考え方です。

ハンターでは多くの場合、狩りは個人の成果となりますが、そこが異なる部分です。その他の分けられない部分(頭部や熊の胆等)はセリにかけ、欲しい人がお金を出して持っていきます。セリの収益も狩りに参加した人たちで平等に分けられます。

最後にモチグシが山の神様に供えられます。モチグシとは、クロモジの木を削って串をつくり、心臓3切れ、左の首または背肉3切れ、肝臓3切れ、計9切れの肉を3本の串に刺し、手に持ったまま焚き火で焼いたものです。

現代の"マタギ"の在り方

           

現在は、後継者不足でマタギの数が激減していますが、山と動植物を敬い、人々が自然と寄り添いながら、助け合って暮らしている姿は大切に守られています。マタギは職業のようなものではなく、過酷な山間部で人々がサスティナブルに生き抜くためのライフスタイル(生活様式)のひとつになってきているとも考えられます。

現代マタギの社会的意義

今では狩猟で授かった皮や生薬を売り、狩猟のみで生計を立てているマタギはいなくなってしまいましたが、狩猟以外の部分で、マタギの価値が見直されてきています。近年では、動植物の乱獲や自然破壊といった問題に対し、マタギの狩猟方法や生活の知恵から、自然との共生について学ぶことが多くなってきました。これまではマタギの独特な狩猟の仕方や、山言葉などの特殊な儀式の部分ばかりに目が向けられてきましたが、現在はマタギを生み出し、そして育んできた森吉山全体の環境を学ぶ人が訪れ、古くて新しい文化として多角的な評価がされてきています。

私たちの想い

                   

後継者不足で絶滅の危機に瀕しているマタギ文化を後世に伝えるため、山と動植物を敬い、人々が自然とせめぎ合いながらも、翻弄されながらも、日々を生き抜く山里の姿そのものを、これからも大切にしていきたいと思っています。そのような環境で育まれてきたマタギの知恵は、動植物の生態に適応し、持続可能な利用・管理を目標とした志が基盤としてあります。私たちはマタギの知恵から、現在壊れかけている循環型社会を再構築するため、中山間地域で衣・食・医・信仰と社会的に重要な役割を果たし、近くの自然から安全な食や薬を得ることに長けた達人であるマタギを再考していきたいと考えています。

マタギの七つ道具

  • モロビ
    旧森吉町の町の木にも指定されていたモロビ。かつての森吉小学校の校舎には「モロビのように薫り高くたくましく」というスローガンが掲げられていました。
  • 村田銃
    村田銃には弾は1発しか入らないため、クマは5~10mまで引き寄せてから撃ちます。江戸時代にヤリから火縄銃に、明治期に火縄銃から村田銃へと代わり、今ではライフルが使われています。
  • ワラダ
    ワラダは、ワラで作られた野兎狩りの道具です。ワラダを投げると、鷹が飛ぶときと同じ音がします。斜面すれすれに投げ、近くの穴にウサギが入ったところを素早く生け捕りにします。
  • サッテ
    サッテは、雪山を歩く際に杖になったり、スコップ、ピッケル、銃座、ハンマー、舵の役割など、ひとつで多くの使い方があります。
  • ナガサ
    ナタと包丁の中間です。ナガサはマタギの命とも呼べるもので、枝打ちから解体まで一本でこなします。北秋田市阿仁前田駅前にナガサを作っている唯一の鍛冶屋があります。
  • 毛皮
    マタギは熊の毛皮を着ているイメージがありますが、それは誤りです。熊の毛皮を着て山に入ると、後ろから撃たれてしまう危険性があるため、カモシカや猿等の白い毛皮が多く使われていました。
  • カンジキ
    カンジキは雪山歩きの必需品。マタギのカンジキ歩きの特徴は足跡が一直線になっていることです。雪を踏み固められる力が半分になり、重心の移動が少なくなるため体力続き、遠くまで歩くことができます。